宝が池は江戸時代に農業用のため池として作られた人工池である
そこを市民の憩いの場として利用するために宝ヶ池公園が作られた
その園内に京都市により競輪場が建設され
1949(昭24)年:京都市主催による宝ヶ池競輪が開催された
バンク333.3mのコースには
京都市電の京福電鉄叡山線(現:叡山電鉄)も乗り入れを始め
開催連日、多くのファンが詰め掛けた
9年間での開催日数は99日
総売上高は77億1,500万円余
その総収益は4億8,237万円は市民に還元されたが
市の財政がようやく黒字基調になったあたりから
京都市議会にて市営によるギャンブル施設運営に対する異議が相次ぎはじめ
当時の高山義三市長の
「市民憲章に反し、家庭生活を破壊する競輪は、六大都市中さきがけて廃止する」
との決断により
1958(昭33)年:宝ヶ池競輪場は廃止となる
未成年・学生生徒は立ち入りの競輪場の跡地は”こどもの楽園”として整備され
その入り口に、今では
「大人のみの入場はお断りします」との看板が立っている
京都市左京区上高野竜田町
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